ノラクチーナについて
新潟が誇る農業「Nora仕事」
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ごちそう「cucina」
=
「野良(Nora Cucina)]
新潟が誇る農業「Nora仕事」
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ごちそう「cucina」
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「野良(Nora Cucina)]
新潟市のはトマトとなすの出荷量「新潟県内NO.1」なんです!ご存知でしたか?
一人当たりの野菜購入量も全国でトップクラスの野菜が大好きな町なんです。
新潟の畑や田んぼで営まれる農業【野良(のら)仕事】から生み出されるお野菜を使ったお料理(クチーナ)として提供したい。
NoraCucina新潟鐙店はそんな思いの詰まったレストランです。
食材を作る人、料理する人、そして食べる人。みんなこの町にいるんです。
そんなあたり前のゼイタクを気軽に楽しめるお店にしたいと考えます。
当店では新潟生まれの店主をはじめとするスタッフが、地元の農家さんが愛情いっぱいに育てた食材を丹精こめて調理・提供させていただきます。
敷居の高い高級店ではございません。
老若男女皆様が楽しく楽しく、心豊かに過ごせるレストランでありたいと願っています。
地元のつながりを大切に
新潟の食材を提供しています
新潟市は県内一のトマト産地で、生食用の大玉トマトは「桃太郎シリーズ」が有名。
地元トマト農家に「シシリアン・ルージュ」も生産してもらっています。
おいしいトマトは甘さと酸度のバランスが適度です。
新潟市は「十全なす」や「やきなす」「丸なす」の産地をして知られています。
こんなにも多種多様のなすが使い分けられる土地は全国でも珍しいそうです。
新潟市内の養鶏業者から直接仕入れる鮮度抜群、安心安全な卵を使用しております。
どっしりとした梁や柱を移築した店内では
ゆったりとした時間が流れます
NoraCucina新潟鐙店のこの建物はもともと三川村(現在の阿賀町)新谷(あらや)の会津街道を行き来する商人向けの旅籠(はたご)だった建物です。
約150年前に建てられ、昭和40年代に現在の場所へ移築されました。
長年飲食店として使われてきましたが、いつの間にか空き家となり、取り壊される寸前のところでしたが、どっしりとした太い梁や柱、雪国特有の屋根の形状を活かしつつ、難工事の末「Nora Cucina」へと生まれ変わりました。
店内中央を走る太い梁や古い建具などは、新潟の風土に根差した雪国の暮らしが偲ばれます。
また、自慢の石窯も、使われず行き場に困っていたところを、これまた苦労して修理、運搬いたしました。そんな苦労の末のお店です。
皆様遠慮なさらず、あちこちジロジロ眺めにきてください。
約50年前、此処には「奥みかわ」という
レストランがありました
奥みかわの由来は「みかわ」即ち三川の奥の謂れであって、この建物が本県東蒲原郡三川村の奥に位置する大字新谷の旧家阿部家を此処に移築したことに因み命名したものであります。
新谷は文禄3年(1594年)荒屋という名前で青史に現れ、江戸時代には越後街道(新発田ー津川と会津若松を繋ぎ若松街道ともいう)の一村で、十返舎一九はその著「諸国道中 金のわらじ」の中で「あらやの宿」と記されています。
新発田藩主溝口氏の参勤交代の要路に当たっており、阿部家はその宿受けにも当てられていたので、奥座敷には書院の間・床の間・十五畳の間及び武者隠しの備えなど一般民家にはない間取りが見られます。
旧阿部家は明治元年(1868年)戊辰戦争で官軍の攻撃により灰燼に帰しましたが、翌年いち早く再建され、以来今日まで連綿として百有余年が経っております。
しかし当時の卓越した棟梁の建築技法により、1世紀余りを経ているにも関わらず、構造主体にはいささかの狂いもなく、使用されている材料も豪壮雄大でその構造も優美にし絖構を極めている等の点から当主阿部敏雄氏に懇願し譲渡の快諾を得て以てこの地に移し古い様式に新しい息吹を込め「和風レストラン 奥みかわ」として新生されました。
(昭和40年代当時の説明看板より)